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   大阪往復キーボード

西村 舞由子 

 来月初め、六年前に亡くなった父が生涯をかけた劇団が、大阪でオリジナル作品を上演する。父は座付きの演出家・脚本家だった。 父が生涯追い続けたテーマを踏襲したとある。観たい。高速バス往復の強行軍で行くことにした。

 父は劇団の後継者を育てなかった。わたしにも、特に演劇や文章の道を勧めなかった。でも、劇団には自然発生的に育った。まずは父がいなくなることが必要だったのだ。

わたしは、父の表現の後継者の一人という自信が欲しかった。書籍編集者になってもそれは得られなかった。わたしは書きたい。何を書くかわからないけれど書きたい。できれば役に立ち評価されたい。でもそんな能力はない???

 思い知るのが怖くて、手が動かない。やっと書き始めても、誰に書いているのかわからず、途中であきらめてしまう。

 しかし、公演の招待状を受け取り、ある感覚が湧いてきた。

 わたしにある「書きたい」という衝動は、それだけで価値があるんじゃないか。書きたいから書く。役に立たなくても、ほめられなくても、動機がある。十分じゃないか。表現って、多分そういうことだ。

 父はわたしによく「やりたいことをやりなさい」と言った。突き放されたように感じていたが、彼はとてもシンプルにタフに、後継者を育てていた。

高速の照明灯がバス車内に漏れ入る夜、劇団の芝居と父とわたしの今を、疲れた身体で味わうだろう。その往復にも、このキーボードを持っていこう。

了 

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