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  文学人生、ヨーロピアンスタイルでキメてく、大胆不敵な作品コーデ術――もう村上春樹の二番煎じとは言わせない――

南野 一紀 



  0. ヨーロピアンスタイルでキメてくということ

 村上春樹や欧米の文学が好きで、それらの模倣から作品を書きはじめると、「村上春樹のマネでしょ?」と言われるのはよくある話で、私も一時期、このコメントを自作に対して受けたことがあります。

 日本の文学界に名前を残した作家の中には欧米の文学に憧れて、優れた作品を書いて、認められた人はたくさんいます。

 有名どころだと、芥川龍之介、太宰治、堀辰雄、三島由紀夫、石原慎太郎、中上健次、村上春樹などがそうです。なんでかはわかりませんが、欧米の文学が好きで積極的な模倣を試みたのちに、独自の文学を築く人には日本の場合、男性が多いです。

 日本人で欧米文学のマネをする人を分類すると、言葉遣いや文体や文章のタッチなどの外面をマネするタイプ、考え方やアイディアの内面をマネするタイプの大きく二パターンにわかれます。

 今回は西洋と東洋、外面と内面の二つの軸を主として、村上春樹の模倣に終わらないための策について話していきたいと思います。

 目次

0.ヨーロピアンスタイルで決めていくということ

1.内面と外面の両方を西洋風にした作家

2.村上春樹と違いを出すための策

3.外面を東洋風にする

4.内面を西洋風にする

5.まとめ

   1.内面と外面の両方を西洋風にした作家

 唯一、堀辰雄の作品は外面と内面の両方が欧米風だったと私は考えていて、その点だけをとっても、勇気があると私は両手を挙げて賞賛したいです。

 洒脱な文体、うっすら甘い文章のタッチ、思弁や会話で表現される女性へのサディズム。

 中上健次や石原慎太郎にはさまざまな作品がありますが、初期に書いた「海へ」、「ファンキージャンプ」は傑作です。

 中期の頃に書いた作品は、日本語の美しさが際立っていて、だれも批判なんかできるわけがないくらい絶品なのですが、初期の作品は若いながらに、その両立がなされているという点で質が高いんですよね。

 中上健次「海へ」はギリシャ悲劇と自分の境遇がどこかで似ていることを察している青年が、海へ行き過去のことを回想し、海へ潜っていってしまうという内容です。詩的な文体で表現性が高い作品であり、筋も西洋の古典に範をとっています。隠れたサディズムや、ジャズミュージシャン・ジョン・コルトレーンのスリートニックの手法を模して、複数主人公がいるといった構成の組み方もよいのですが、なぜか文壇では評価されませんでした。

 一方、石原慎太郎「ファンキージャンプ」は日本人のジャズピアニストの男性が舞台に立って仲間たちと演奏するのですが、演奏が終わった後で、実は自分に精神的な成長を促す助言をした女性を殺害したということが周囲に人々にわかるという内容です。

 本作も同様に詩的な文体、西洋古典に範を取った筋書き、隠されたサディズムなどを含んでいて、高度な作品に仕上がっています。

 しかし両者ともに、考え方そのものは西洋的なものでありながら、外面が日本的な作品に徐々に移行していきます。

   2.村上春樹との違いを出すための策

 村上春樹は「外面が西洋的で、内面が日本的な作品を書く作家」だと私は思っています。

 ここまで話すともうお気づきの方もいるかと思いますが、その逆をやればいいというのが結論の一つです。

 つまり、文章のタッチを日本語の妙や粋を活かしたものにした上で、設定も日本人と関わりのあるものにして、さらに登場人物の存在や作品に通底する理念や美学を西洋的なものに落とし込むということですね。

 先ほどの例には挙げませんでしたが、三島由紀夫はその方法を駆使して、もっとも海外で評価を得た作家です。彼は極端すぎるくらい理想の保守思想を持っていました。しかし、本質的にそれは日本が本当に美しくあるべきだ、東西の美を融合してよりよき日本を目指すべきだという信念が強くあったからなのですね。

 信念の強さのために最後は割腹自殺までしてしまうのですが、彼は素敵で頭のいい作家だと思います。

 現代では、外面の美の方が内面の美よりも圧倒的に優先されるので、外面の美を西洋に投じた村上春樹が世界で評価されているわけですが、同じパターンで勝負するのは二番煎じになってしまうという課題があります。

 もちろん、外面・内面で二分する以外の方法で、村上春樹と違いを見せることもできますが、伝統的な視野で物事を見ると、やはりこの方法は有効な手段だと言えます。

 今回は他の方法は説明せずに、「外面の東洋化、内面の西洋化」の視点からどうするのがよいと思うかを話します。

   3.外面を東洋風にする

 外面を東洋風にする方法を先に説明します。

 私は南欧の作家・詩人に憧れがあって、紆余曲折ありながらも、作品は継続して書いてきたのですが、やはり一時期、「村上春樹のマネでしょ?」、「登場人物がただ綺麗でやさしいだけで、おもしろくない」、「気取りすぎてるし、現実と関係ない」、「自己正当化しかしてない。自分を客観視して作品を書くべきだ」、「自己自慢がすぎる。何様なんだ。イタリアが好きなら、イタリアに行って書いてくれ」と言われたことがありました。

 ひどい話でもありますが、みんな日本に住んで、楽しい思いだけでなく、苦しい思いもしているので、やむを得なかったのかもしれません。しかしその時に一工夫すると、理解を得ることも多いです。

 私の場合は、石原慎太郎のエッセイの文体とタッチのマネでほとんど一発でした。少なくとも、右記のような批判はほとんどなくなりました。

 特に重要なのが、綺麗な言葉を使いまくった挙句、決定的な局面において、フリーキックで相手のゴールを射るような的確、かつ強い言葉を使うのがミソで、これがいいと言われたことがあります。文学って、いかに読者を綺麗に攻めるかなんですよね。

 もっとも最後の批判だけは、今でもされるので、イタリアと日本、半々で住みたいなと本気で思っていて、日本の梅雨の時期は辛いにでもイタリアに住む時期をあてて、あっちで陽気な人々に会って、ワイン飲みながら、ユヴェントスの試合でも見て、ワイワイ騒いだっていいし、一部のインテリとカフェでカプチーノでもエスプレッソでも飲みながら、文学の話でもしたっていいしな、それをネタにエッセイでもこしらえたるかな、とか少し変わったことも考えてるんですけど。

 日本語の美しさを極めにいく人は、『日本書紀』、『源氏物語』などの古典だけでなく、落語、歌舞伎、浪花節、落語などの伝統芸能まで学ぶ人もいるみたいです。

 イタリアに行けばイタリア人に必ず日本のことは訊かれると思うので、そのついでにウケそうな伝統文化と漫画とかしっかりやっとこうとは私も思ってます。

 石原慎太郎は保守政治家で、東京都知事にまでなった人なので、生粋の保守なのですが、作品はその賜物と言っていいと思います。はっきり言えば、外面の東洋化を極めるなら、何かしらの形で保守の業界に身を置くのは最高の手段です。百田尚樹も保守政党の立ち上げに動いてますし。

 そうなれば最後は、保守仲間やネット右翼が守ってくれますから、必ず作品読まれるんですよね。人脈はどう考えても重要です。

   3.内面を西洋風にする

 最後に、内面を西洋に持っていく話ですが、私は内面を重視するタイプなので、ここに賭けてます。

 プラトン、ホメロス、ダンテ、ソフォクレス、カミュ、アントニオ・タブッキ、ヴィットーリオ・デ・シーカ、フェデリコ・フェリーニ、アガンベン、カッチャーリ。

 実際、南欧のファッションや食べ物やサッカーがみんな好きなので、作品中心でイタリアを見ると、変わった人という目ではどうしても見られてしまいます。もっともファッションも食べ物もサッカーも、私は好きですが。

 それでも、外面の美の追求が飽和している世の中で、文学で理念や美学をやって魅せるのは逆張りであり勝負手ですが、成功すればいい感じですよね。

 世事とか体験談が多くなってしまいましたが、結論は西洋の作品、主に、プラトン、ホメロス、ダンテ、ヴィットーリオ・デ・シーカとかこの辺から学ぶのはいいなと思いますよ。

 他は自分の好みで選んで南欧の文化を学ぶのが一番だと思います。





   4.まとめ

 以上になりますが、参考になりましたか?

 第四章の日本人で小説やエッセイを書いている人が、「内面を西洋に持っていく方法」は紙幅の関係で深掘りできなかったので、別のブログ記事で詳しく書きます。

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 了 

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