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評論 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

   評論 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

冨田 臥龍  

イントロデュース

読者のみなさんの中には、村上春樹を知っている人は、わりと多いと思います。かなり、の数かも、しれません。

 今回は村上春樹さんの作品なのですが、大きな作家さんですので、

 極めて「さらっと」流して、肝心な部分だけ、取り上げます。

 用意はいいですか?

作者紹介

春樹さんは関西出身。おじいさんが住職さんで、両親は教師。

受験で上京、早稲田大学第一文学部へ入学。演劇専修へ。

在学中にジャズ喫茶「ピーターキャット」を開く。奥さんと学生結婚。

7年在学、卒業。国分寺から千駄ヶ谷にジャズ喫茶を移す。

有名な1978年4月1日、明治神宮の野球場でプロ野球のヤクルト・広島戦を観戦中に、小説を書く事を思いつく。それから毎晩、ジャズ喫茶の仕事が終わった夜、書いた。

1979年4月、『群像』に応募した『風の歌を聴け』が第22回群像新人文学賞を受賞。その後、店を人に譲り、専業作家に。その後、『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』『国境の南、太陽の西』『ねじまき鳥クロニクル』『アンダーグラウンド』『約束された場所で』『海辺のカフカ』『アフターダーク』『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』『女のいない男たち』『騎士団長殺し』『一人称単数』と発表し、2021年10月1日に、早稲田大学四号館を改築し、早稲田大学国際文学館(通称「村上春樹ライブラリー」)が開館。隈研吾が春樹さんの依頼で設計。

ノーベル文学賞候補にも何度も挙げられているが、これはまだ未知数。

あらすじ

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、2013年の彼の仕事。

主人公は多崎つくる。彼は、四人の仲間と親友だったが、ある理由でその仲間の輪からはじき出されてしまう。五人の仲間は公立高校で出会い、男三人と女二人で、仲良くなった。

アカこと赤松、アオこと青海、シロこと白根、クロこと黒埜、つくるのみ「つくる」と呼ばれた。アカは頭脳明晰、父が名古屋大経済学部教授。アオはラグビー部のフォワード、ハッスル・プレーヤー。シロは日本人形のような美女、ピアノを弾く。クロは愛嬌のある読書家。つくるは鉄道好きなおとなしいオタク。つくる以外は名古屋にとどまった。つくるは上京し、

ある国立大学で工学を学び、鉄道の駅の設計をするエンジニアになった。

ある時期、つくるがシロを強姦したというデマをシロから仲間に流布され、つくるは仲間から排除された。孤独の中、つくるは自死念慮に苦しむが、どうにか立ち直り、友人の灰田(グレイ)と知り合い、友人になる。いろいろユニークな話を灰田から聞くつくる。

 灰田は、父から聞かされた話をつくるにした。緑川というピアニストの話。

 その後灰田も去り、沙羅という彼女がつくるには出来た。沙羅の導きで、過去の仲間の現在を尋ねる。アオはレクサスを売るカーディーラーになっていた。アカは企業向けの社員教育企業を立ち上げ、社長に。シロはピアノを教えていたが、何らかの強姦事件に巻き込まれ、その後一人暮らしをしたが、殺人事件で殺されて死んだ。クロは卒業後、陶芸の学校に再入学し、フィンランド人の陶芸家と結婚して、フィンランドに移住し、子どもを授かった。つくるはそれらを歴訪し、最後はフィンランドへ。新宿駅と、沙羅との関係を残し、この物語は終焉に至る。

本論

 いつものハルキ作品のように、常識に沿ったファンタジー、巧みなエンタテインメント、謎かけと謎解き、主人公の歴訪と過去への旅、過去の清算、恋愛、そして心の傷の癒し。

 

この作品の大きなテーマは、「楽園喪失」である。

 エデンを追われた人類。アダムとイブ。

 儒教では、堯舜の世の再来の待望。

仏教では、極楽、涅槃の願望。

神道、アニミズムでは、天台本覚思想のように、「山川草木悉皆成仏」の思想。

イスラム教の、世俗的な楽園思想。

楽園を追われた人類は、どこへたどり着くべきなのか。

そもそも、これは、天地創造のテーマが、裏に隠されている。

多崎つくるとは、つまり、多崎・・・☆、星の隠された意味。

つくるとは、創造。つまり、これは、造物主、創造神の意味。

ビッグバン以降、宇宙・世界は「四つの力」に分かれた。

つまり、「強い力」「弱い力」「電磁気力」および「重力」。

アカ・アオ・シロ・クロは、この「四つの力」を象徴している。

緑川(ミドリ)・灰田(グレイ)は、レインボー・カラーの付随。

ミドリには、『ノルウェイの森』のミドリ、グレイには、「鼠」のイメージ。(主人公・僕の影(シャドウ)。)ここには、わかりやすく、日本の「戦隊もの」のイメージも、ダブル・イメージで、重ねられている。

そして、そのつくるが、巡礼を行う。つまり、造物主・創造神の、「自分の作った世界」の、探訪。駅を作るというのも、駅は人類文明のシンボル。

造物主・創造神つくるは、なんらかの「衝突」(いじめ、心の傷)により、虚数空間アイから、今の宇宙世界を生み出した。そして、それは、四つの力を生み出した。そして、ビッグバン以降の、現在の宇宙が、生み出された。そう、現代の宇宙物理学は、説明している。

今回のハルキ文学の神話・ファンタジーは、現代日本社会の友人関係(特に、ハルキの子ども世代の、団塊ジュニア世代の物語)を、現代の宇宙理論という一種のファンタジーに擬えて、過去のハルキ文学をリライトし、精算していく目的で、描かれた作品である。

巧みにモチーフは隠されているが、ハルキ文学の背景には、明確に、神話や民話、思想や宗教が存在するが、これらの「大きな物語」を、素材そのままを持ち込むのではなく(過去の、戦後派文学はこれをやって、戦後日本で消化不良となり、第三の新人は問題群を矮小化させすぎ、大江は障害とアカデミズム、中上は神話と民俗学と被差別、龍は商業主義とドラッグとエロ、それらに特化しすぎて自滅し、ポピュラリティを失った。)「構造」だけ利用して、換骨奪胎することで、世界的消費文学を構築した。いわば、マクドナルドやスターバックス・コーヒーや、日本ではユニクロやレクサス、隈研吾の建築のような世界的な「商品」なのであるが、とりあえず一種のブランディングと、国際的商品化に成功した。

ハルキ文学はだから、現代の科学と資本主義の商品化時代のアイコン、ファンタジーであり、神なき現代社会の、いわばミステリー仕立ての、「神探し、人生の意味探し」の、エンタテインメント風純文学、純文学風のエンタテインメントである。これを、ハルキは、ジャズ喫茶「ピーター・キャット」のカウンターの向こう側で、カウンター一つ隔てた「お客様」に、学生で所帯を持った、いわば資本主義的に「成熟した商人の自我」で、小説家というビジネスを始めた時から、彼の中には、こういった文脈があった。右翼の学生寮でなめくじを食わされていじめられた心の傷は、世界的なメンヘラ社会で、共感の環が広がった。

団塊の世代という、古い世代と新しい世代の境目の世代で、彼は新しい世代のはしりとなり、中上は古い世代の最後となった。はじめから世界的商品であるハルキ文学には、おもわせぶりな仕草はあるが、中身の意味は、ない。空無であり、それゆえ、虚無的な世界資本主義や、科学万能社会にフィットしている。だが、ハリウッド映画と同じで、アカデミー賞まではいっても、カンヌは厳しいかもしれない。つまり、ノーベル賞の主旨に、合うであろうか。彼の文学はドストエフスキーのやった文学のちょうど真逆で、ドストエフスキーが、エンタメ風味の純文学を行ったのに対し、ハルキは純文学風味のエンタメをやった。

だから、意味はないが、しかし、より気が利いていて、おいしい文学である。

そもそも、人生に意味を見出しすぎるのは、むしろ病的である。

適度に意味があり、適度に意味はない。生と性は、死に至ると決まっているだけで、

意味は、あるような、ないようなものだ、虚数空間アイ=愛と同じように。

人生に過度に意味を見出す人にも、見出さない普通の人にも、おすすめ。

参考文献

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 初版 二〇一三年 文藝春秋

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