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   ひとを悼む辞

                                 葉山 美玖 

 数年前、軽井沢の室生犀星記念館を訪ねて、そこに展示されていた萩原朔太郎への弔辞に唸ってしまった事がある。かなり辛辣とさえ取れる調子で、出会いの頃の朔太郎の手紙について「青い便箋で、このハイカラさんから熱心な手紙が来た」などと書いてあったけれども、そこに一天突き抜けた朔太郎への愛情があった。そういえば、昔読んだ堀辰雄への弔辞も息を呑むものだった。

 去年だろうか、私も一時期お世話になった松村雄策さんが亡くなられたが、その後にロッキングオンに掲載された渋谷陽一氏の「松村は良く、お前の弔辞は俺が読んでやると言っていた。煙草と酒を絶対に止められない人間だったが、僕より長生きすると100%信じていた。そう言われる度に、きっと僕が松村の弔辞を読むことになるだろうな、と思っていた。面倒なので口には出さなかったけど。出棺の時に棺を持ったけれど、予想より軽く、それがとても悲しかった」という弔辞も凄いなぁと、私は感心した。

 弔辞というものは、単に悲しかったとか、故人は素晴らしい人物でした、では駄目なのだ。むしろ、故人の生前の有りようを多少滑稽洒脱に書かないと、世間の感動を得られない部分がある。

 しかしこれは、自分に相当な自信がないと書きえないことなのだ。故人と自分と、そして世間一般のバランスが直に見えていないと、ただ単に悲しい悔しいという文章になる。弔辞があまりにうまいと、周りの人間には嫌われるかも知れない。

了  

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