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評論 窪美澄 『夜に星を放つ』

評論 窪美澄『夜に星を放つ』

冨田 臥龍  

イントロデュース

読者のみなさんの中には、この窪美澄『夜に星を放つ』を知っている人は、わりと少ないと思います。

作者紹介

 窪美澄さんは東京都出身。実家は代々酒屋さんでしたが、父親の自己破産で短大中退。広告代理店勤務、出産を経て、フリーランスの編集ライターに。

 その後、2009年、「ミクマリ」で第8回R-18文学賞を受賞し、小説家デビュー。

 のち、山本周五郎賞(2011年)、山田風太郎賞(2012年)、織田作之助賞(2019年)、そして、今作『夜に星を放つ』で直木賞(2022年)。

この本は短編集で、『真夜中のアボガド』『銀紙色のアンタレス』『真珠星スピカ』『湿りの海』『星の随に(まにまに)』の短編五作品を一冊にまとめたもの。

あらすじ

『真夜中のアボガド』は、主人公の女性綾ちゃんが、婚活アプリで麻生さんと付き合いだし、一卵性双生児の弓ちゃんが亡くなり、弓ちゃんの彼氏の村瀬くんが残される。

街で歩いていると、麻生さんが、赤ちゃんを抱いた女の人といっしょに歩いていて、既婚者だと発覚、麻生さんからは謝罪と真相のラインが来る。村瀬君には、弓ちゃんのことを忘れて、と言う。

『銀紙色のアンタレス』は、男子高校生の真(まこと)が、田舎の海へ帰り、朝日という女の子に告白されるが、真の気持ちは大人のたえさんに向いていた。真は、海で泳ぐ。

『真珠星スピカ』は、お母さんが車の事故で亡くなった主人公の女の子(佐倉みちるさん)と、母の幽霊の話からはじまる。主人公には、母の幽霊の姿が見える。。主人公の女の子は、学校でいじめられている。いじめグループの主犯格、滝澤さんは、こっくりさんをやるが、母の幽霊に守られて、いじめグループはやっつけられる。その後、母の幽霊は現れなくなり、父は再婚を否定し、母(つまり妻)を失って悲しいという。

『湿りの海』は、妻の希里子と子の希穂が、妻の心変わりによって、アリゾナに住むアメリカ人の彼氏(夫)のもとに去られた、沢渡という男性サラリーマンが主人公。職場の宮田さんという女性と食事に行くが、宮田さんに対して心は大きく動かない。隣に越してきた、シングルマザーの船場さんと女の子には少し心が動き、女の子の沙帆ちゃんのめんどうもみるが、船場さんの児童虐待疑惑があり、船場さんと女の子はマンションを去る。主人公は、パソコンの遠隔操作で、妻と娘と交流する。

『星の随に(まにまに)』は、小学四年生の「僕」が主人公。弟は海(かい)くん、新しいお母さんの名は渚(なぎさ)さん。学校で親しい中条君も、親が離婚している。

マンションでは、親切なおばあさん(佐喜子さん)が、「僕」のめんどうをみてくれたりする。佐喜子さんは、昔の戦争を描いた漫画本などを見せてくれた。佐喜子さんは、高齢者施設に行くという。「僕」は、渚さんに「お母さん」と言うことを誓う。

五作品ほぼすべてに、海と星の意匠をちりばめて、連作風にしてある。

本論

窪さんの作品は初めて読みましたが、「大人だなあ」「リアルだなあ」という印象。

現代の、若い男女や、子どもの、リアルな恋愛や結婚、仕事、暮らしが、ほぼ原寸大で、描かれている。意匠は、ファンタスティックに、海や星がちりばめられ、美しくまとまっている。シングルマザーや、幼児虐待、婚活アプリの交際相手の既婚者発覚、学校でのいじめ問題、自動車事故による突然の不幸、など、ライトテイストではあるが、現代社会の闇も、きちんと描かれている。ある意味、あまり、「空想的閑文字」ではない。

とても現実的な、現代の、現代人の、人生の一コマを、切り取っている。

逆にいうと、あまり現実への不適合は、とくにない。

一般的な意味では、おそらくある。

たとえば、著者窪さんの、親の自己破産と、本人の短大中退。

子ども、シングルマザーなど。

でも、一般的な作家(特に、純文学系)よりも、直木賞作家ということもあって、

社会的なリアリズムがあり、筆力があり、わかりやすさがあり、そして、

常識的な、社会的不遇を乗り越えてきた、実社会体験がある。

ただ、大きな欠落や大きな不幸、大きな不遇に対して、

大きな才能という「ギフト」が与えられることを考えると、

やはり、どちらかというと、小さな欠落や不幸、不遇に対して、

小さな才能という、「ギフト」を賜っている、という印象は拭えない。

全編に、村上春樹の文学の影響を感じた。

(例えば、先の戦争の、現代にひきつけた、意匠としての利用など。)

ただ、一般の若い社会人の男女には、「身近な」「等身大の」「リアルな/現実的な」短編小説群、連作、として、支持される面は、あるだろう。

そして、一般の読者も、大半は、小さな欠落と、小さな才能の「ギフト」という人のほうが、多いであろう。ただ、大きな欠落を補う、大きな才能の昇華というものは、なかなかまれにしか出てこない。なかなか、この中に、それを見出すのは、難しいだろう。

ただ、現代文学が、それは芥川賞も、直木賞も含めて、こういった文学に帰結しつつある現実は、ただの商業主義だけでは説明つかない。

つまり、現代文学が、いわば極端に小さな物語、「恋愛」「結婚」あるいは、今回の芥川賞や、最近のテレビや漫画のように、「食」といった、リアルすぎる、ある意味動物的とも言える、矮小なテーマに落ちついているのは、つまり、科学と資本主義と格差社会で、一般庶民の若者の男女が描くメルヘンが、とても小さく、身近なテーマ、動物的・生物的なテーマ以上に広がらなくなっているという現実がある。

出世の夢や昇進の夢、結婚や出産の夢、いろいろな「大きな物語」は、現実にはほぼ不可能な、「絵に描いた餅」になっている、「ポストモダン状況下」では、そもそも、おいしいものをちょっと食べたり、ちょっと恋愛を楽しんだりする以上の楽しみは、現実的には、ほぼない。また、逆に、ちょっとおいしいものを食べたり、おいしいお酒を飲んだり、ちょっとアプリで恋愛を楽しんだりは、わりと簡単に手に入る。

ちいさな、視野狭窄的な「小確幸」のみ、「格差社会」の上の人たちから、下の一般ピープルには許されていて、他は一切許されていない。そして、その支配は、揺らいでいない。自然環境は破壊されているが、先進国では、まだ小さな食の楽しみや、性や恋愛の楽しみは、確保されている(大半の人間には)。

漫画やアニメ、地上波テレビドラマ、ネトフリやアマゾンプライムといった、絵や漫画、映像、動画よりは、少しだけ活字に親しめる、「やや上」なサラリーマンや女性のホワイトカラー勤労者が、現代の芥川賞、直木賞の主なターゲットである。

その層以上でも、以下でもない。そういった、社会階層の固定化が、一見自由な競争社会の裏側で、猛烈なスピードで進行している。もはや、足立区出身者と、世田谷区出身者の間で、全く共通項が見当たらない、日本版「サラダボウル社会」が、目前まで迫っている。

ミドルクラスが完全な破壊に至れば、ますますこの「中流的な」文壇の、芥川賞や直木賞マーケットも、より上(ダンテ『神曲』やシェイクスピア、聖書やギリシャ神話などに親しむ、一部のエリート層)と、より下(漫画、アニメ、地上波テレビドラマ、ネトフリ、アマゾンプライム、活字を読む事に苦痛を感じる人々、多数のサブカル・大衆層)に、二分化されかねない。いや、もう、それは急速に進んでいる。

文藝春秋の芥川賞・直木賞という、日本の文壇ビジネスや、五大文芸誌という、利益がほとんど出ない、いわば出版社のプライドと、作家タレントを保持するための福祉装置としての制度も、わりとこの出版不況や、アマゾン一元化などによって、崩壊が迫っている。

まあ、それでも、文壇を守っていくための工夫も、これからの文壇人には、必要になってくるであろう。ただ小説を書いたり、物書きをやっていて済む時代は、とうに終わっている。いわば、経営者や教育者、芸能人、マルチタレント、ある種のコンサル、インフルエンサー、ユーチューバー、そういったものを兼業するタレントとしての作家の時代は、近い。

軽く、現代の文学と、若者の男女の世界を知りたい人には、おすすめ。(終)

参考文献

窪美澄『夜に星を放つ』 初版 二〇二二年 文藝春秋

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